たかみが何年もの間苦しめられた「うつ状態(鬱病)」。
僕が何故うつ症状に苦しむことになってしまったのか、その原因と経過を検証するパート2です。
前回の「人間関係」だけではなく、さらに複雑な状況が僕の心をむしばんでいきます。
今回は、仕事(ビジネス)の失敗に起因する「お金がない状態」・・・まさに「極貧生活」によるストレスです。
妻にも子どもたちにも辛い思いをさせてしまいました(涙)
「うつ病 症状と、僕が抑うつ状態になった原因を考えてみる」シリーズ。
前回は「人間関係のストレス編」とうことで、裏切りや性格の悪い取引先の上司についてのお話をしました。
こちら>>>うつ病 症状と、僕が抑うつ状態になった原因を考えてみる・・・人間関係のストレス編。裏切りや性格の悪い取引先の上司
「なんだよ、この程度ならだれでも経験しているレベルじゃないか!」
「たったこのくらいのことで、うつ病になるなんて根性がないからだよ!」
なんて声も聞こえてきそうな気がしますが・・・ (^_^.)
そうなんですよねぇ・・・
僕もそう思っていました。
「うつ病になる人って、心が弱い人なんだなぁー」って思っていました。
でも、それは違うんですよ!
声を大にして、それは違うんですよ!
うつ病になる人たちは、心が弱い人ばかりではないと思います。
まあ、なかには「依存心が強くて自分一人では何も決められない」ような、本当に心の弱い人もいるとは思いますが、心の持ち方だけが鬱になってしまう原因ではないと思いますよ。
明るくてリーダーシップを発揮している様な人でも、うつ状態になってしまう危険は潜んでいると思います。
これは、「鬱になってしまうのは、外的要因にも大いに左右される!」ということだと思います。
普段は気にしないような「小さな挫折」や「小さな不運」などが重なってしまうと、人間の精神って、いともたやすく崩れてしまうと思います。
僕の場合はまさにこのパターンでした。
いくつもの不運やマイナスの出来事、そして自分の理想通りにならずに上手くいかないことが偶然にも重なってしまったんです。
前回お話しした「性格の悪い取引先の上司」や「裏切り」に対しても、通常の精神状態ならば、強気に跳ねのけることはできました。
しかし、自分の心が弱い状態にある時・・・いわゆる「落ち込んでいる時」に、裏切りや無理難題を抱えてしまうと、それを跳ねのけるのは難しくなってしまいます。
「弱り目に祟り目」
とか
「泣きっ面に蜂」
とは、まさにこのことです。
不運や不幸が重なった時の人間の精神って、意外と脆いものですよ・・・ (T_T)
「洗脳」なども、そんな精神状態を利用した、精神のコントロール術ですもんね。
「警察による強制的な自白」もそうでしょう。
普段とは全く違う精神状態にされた中で、「お前が犯人だろう!」って言われると、「本当に自分がやったのかな?」って思い始めてしまうんですよね。
僕が「抑うつ状態(うつ病)」になってしまった原因
前回お話しした原因は・・・
●真面目で几帳面な性格
●人間関係(無理難題を押し付けてくるヤツの存在)
●人間関係(裏切り)
でした。
それらに加えて、さらなるストレスが僕を襲います。
●ビジネスが思うように成功しない
僕は、30代前半でビジネスに失敗しています。
この当時は、ネットビジネスではなくリアル店舗を構えての商売をしていました。
この店の経営が行き詰まり、借金を背負ったまま倒産・・・ (T_T)
そのままどこかの会社へ就職するという選択肢もあったのですが、30歳を超えてからの就職活動はとても厳しいだろうし、仮に就職できたとしても借金を返しながら家族を食べさせていくだけの収入は見込めないと判断しました。
で・・・
初期投資(資本)もかからず、人件費もかからない「ネットビジネスで生計を立てる」という道を選んだんです。
周りからは反対されましたねぇ・・・
特に、妻の両親からは「大反対」されました。
「そんないい加減な事をしていないで、ちゃんとした会社に就職しろ!」
「子供や妻を抱えて、何をやっているんだ!バカ!」
という感じでしたね。
こういった周りの声が「かなりのストレス」になるんですよね。
「助言をしてくれている」のではなく、「僕を責めている」という言葉が多かったですから・・・
「そんないい加減な事をしていないで、ちゃんとした会社に就職しろ!」
この言葉などは、その時僕が必死で新しい人生を切り開こうとしているのを真っ向から否定するだけの言葉ですもんね。
話をしているのも辛かったですよ。
「ちゃんとした会社に就職しろ!」って言われるのですが、具体的なビジョンを示してくれる人はいませんでしたから・・・
しかし、この時の僕の選択は正しかったと今でも思っています。
「同業種での転職」ならまだしも、全く畑違いの仕事に就いても、金銭的にかなりきつかっただろうし、何よりも僕自身が納得できなかっただろうと思います。
●貧乏(明日の米が買えないくらいの「極貧」でした)
それまでも、自分の店の顧客管理や給与計算など、いろいろなシステム(プログラム)を自作していたので、ネットビジネスだからといって「特別な世界」という抵抗はありませんでした。
そこで僕は、ソフト開発をしてそれをネットで販売するというビジネスを始めます。
(当時は「ホームページ制作」もやっていましたね。←これは需要がありましたよ!)
ビジネスソフトは勿論、個人向けの便利なソフトやちょっとしたゲームソフトなども制作して販売していました。
ソフト販売の売上はそこそこあったのですが、本業と呼べるほどではなく、生活は苦しいものでしたね。
当然ですが、外食なんかできないですし、自分たちの洋服も買えない。
いつも同じ服を擦り切れるまで着ていました。
↑
襟とか袖口とか、ボロボロのトレーナーを来てましたから、宅急便などの業者が来ると「ヤバッ!」って言って上着を羽織って出ていましたね・・・ (-_-;)
子供の入園式の制服を買ってあげるお金がない・・・
ママ友の中の一人が「お兄ちゃんのお古でよければ、着る?」と言って持って来てくれた、ちょっと色あせた制服を着せて登園させたのは忘れられません。 (T_T)
子供に対して「申し訳ない」という気持ちと、自分のふがいなさに涙が出ました・・・
夕食に鍋をやっても、僕は白菜や豆腐ばかりを食べていましたね。
ちょっとしか入っていないお肉は、子どもたちに食べさせろ!って言って・・・
「貧乏」はこたえますよ・・・
精神的にかなり来ます。
嫌な上司がいるというのは、仕事が終われば(とりあえずは)その苦しみからは解放されますが、「貧乏は精神が解放されません!」
四六時中、ずーっと心に重くのしかかってきます。
ビジネスを失敗して借金がある時点で「かなりのビハインド」なんですが・・・
お金がないから、ビジネスにおける投資もできないんですよ。
もっとスペックの良いパソコンが欲しいなぁーと思っても、10万円、20万円の投資はできない。
運転資金も無いから、ビジネスも上手く軌道に乗らない・・・
売上が上がらず、ますます貧乏に・・・
まさに「負のスパイラル状態」でしたね。
貧乏にどっぷりはまり込むと、抜け出すのはかなり大変でした。
今でこそ「週休5日」とか「今日もトイプードルとお散歩だよー」とかふざけたことを言っているたかみですが、あの頃は「明日、俺たちはどうなってしまうんだろう・・・」という不安でいっぱいの毎日でした。
そんな不安を抱えながら、1日10時間とか、多い日には1日13時間もの時間、パソコンに向かってソフト開発の仕事をしていました。
そしてついに、僕の身体は悲鳴を上げてしまいます・・・ (T_T)
つづきはこちら>>>うつ病 症状と、僕が抑うつ状態になった原因・・・胃潰瘍、抑うつ状態、顔面の痺れ、無気力で何もしたくない毎日